穴窯時代の製品
穴窯時代の主な製品は、米や水などの貯蔵用に用いる無釉で大型の壷や甕(かめ)、穀物や豆類をすりつぶしたり、粉を練ったりする擂(すり)鉢や練り鉢などで、末期に至り船徳利・ラッキョ徳利などの大型徳利や、桶・盤も作られるようになりました。
船徳利
江戸初期の製品
登り窯時代に入って、蹴りロクロや人口釉が使用されるようになり、製品も多種多様化しました。
特に赤土部釉の使用に特色が見られ、代表的な製品として山椒壷があり、穴窯時代から引き続き壷や甕も多く作られました。
新しい製品としては、片口、薬研(やげん)、各種の鉢、油壷・塩壷などの小壷、各種の茶器などが作られるようになりました。
山椒壷
江戸中期の製品
茶入・水指(みずさし)・茶碗・建水・香炉・蓋置などの茶器が全般的に作られるようになり、とりわけ丹波焼を代表する徳利は、各種の瓢箪(ひょうたん)形徳利をはじめ、浮徳利・エヘン徳利・ローソク徳利・傘徳利・海老徳利・鶴首徳利・筒描貧乏徳利など、50種類を超える多種多様の徳利が生み出されました。
そのほか装飾的文様を施した壷・花器や鉢・皿・植木鉢、神仏供花用花立、書道用水滴、湯たんぽなどが作られています。
各種徳利
江戸末期の製品
江戸時代末期には、立杭周辺で白土薬が採取されたこともあって、「白丹波」と呼ばれる白釉を使用した製品が多くなり、徳利・壷類をはじめ飯碗・鉢・湯呑など多種の製品が作られました。
明治・大正時代の製品
明治時代は酒や醤油などの大型徳利が主製品となり、販路も東北地方から九州地方まで拡がりました。
大正時代に入ってガラス瓶が普及したことにより、それまで大量に生産されてきた大型徳利に代わり、3升(5.4リットル)・5升(9リットル)・1斗(18リットル)入りなどの中型樽形容器の製造に切り替わりました。
樽型容器
昭和初期の製品
昭和の初頭は蘭や菊・朝顔などの植木鉢需要が急増し、これが製品の主力を占めるようになりましたが、まもなく起こった経済恐慌の浸透によって、丹波焼も不況のどん底に陥り、日中・太平洋戦争の戦時下においては、硫酸瓶・薬品瓶などの軍用製品が主流となって、戦争末期には地雷薬莢(やっきょう)の製造に当たらされました。
唐草模様の植木鉢
戦後の製品
戦後しばらくは日常生活物資の不足によって、壷や甕・すり鉢などの需要により、生産高は順調に伸びましたが、やがてこれが飽和状態となって再び苦境に陥りました。
やがて機械ロクロの普及により、戦前からの硫酸瓶や土管等の工業用品や、駅売りの汽車茶瓶・どんぶり鉢、さらには陶器ブロックや瓦、菰被(こもかぶ)り用酒樽などが大量に製造されるようになって、伝統的な丹波焼は大きく姿を変えました。
硫酸瓶
現在の製品
昭和40年代以降漸次大物から小物の食器・酒器・花器等の民芸的製品に移行し、これらの生産高が急速に上昇して、伝統的工芸品産地としての基盤を確立し現在に至っております。
現在生産されております製品のあらましをご紹介申し上げます。
■食器
湯呑、茶碗、鉢、どんぶり鉢、皿、蓋物、蓋壷、コーヒーカップ、
スープ碗、マグカップなど
■酒器
徳利、ぐい呑、洋酒杯、麦酒杯、ビアジョッキなど
■茶器
抹茶碗、水指、建水、香炉、香合、茶入、茶壷、蓋置、急須、煎茶湯呑など
■花器
徳利花入、花入、壷、寸胴、水盤など
■置物
干支置物、飾り皿、大壷、水蓮鉢、甕、傘立、陶製椅子など
■植木鉢
木鉢、盆梅鉢、蘭鉢、山野草鉢、河鹿鉢、ウォールポットなど
■その他
すり鉢、灰皿、箸置き、薬味入れ、ミルクピッチャー、醤油差し、水滴、土鈴、オカリナ、酒樽、陶製タイル、電気スタンドなど
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